method ハンドソープ ピンクグレープフルーツ
癖になる割りに嫌味にならない程度の香りにはまっています。
以前one and onlyっていうショップでも見たので、今度はそっちでも購入してみようかな。
エンカのチカラ-SONG IS LOVE 80’S&90’S
これは非常に面白いと思います。
ワタシは前川清のHOWEVERを聞いたことがあります。
どう聞いても前川清なんですが、ポップスのベテラン歌手
としての旨さもあって、驚くやら笑ってしまうやら。
川中美幸は、広瀬香美プロデュース時代のものですよね、
おそらく。あのアルバムも買おうと思って忘れてしまって
いつの間にやら廃盤になってたので、こうやって聞けていい。
極めつけは、小林幸子のアブラカタブラ@ユーミン!!
大ファンなので、よくぞカバーしてくれたと感心します。
ところで、別にコロムビアの肩を持つ気はないけど、
前のレビューの方、Webの試聴だけで、コブシやアレンジ
など音の深さは語れないと思いますよww
あまから人生相談
一般人からの人生相談を集めた本。
既に発行されている2つの雑誌の人生相談を掲載したもの。
「ぶった斬る」どころか、マツコさんの回答は意外とマイルド。
辛辣なものを求めると、拍子抜けするのではないかな?
「セクハラに悩む女性」に対しては「女の武器を身につけた
って事」などの回答は、マツコさんらしいと思ったけれど、他
の人生相談の回答は、中高年女性なら、これくらいの事は言え
そう?と感じてしまった。
案外、真面目に回答している点には好感がもてた。
年齢・性別。人生経験・価値観によって、受け取り方は違うだ
ろうし、辛辣、マイルドの感じ方は違うから★3にした。
うさぎとマツコの往復書簡
本書の内容は、うさぎさん・マツコさんの書いていること・言っていることを知っている者からすれば、格段に目新しいものではなく、その内容も「哲学」「評論」なんていうと、本当の「哲学」「評論」が泣きますよ。あくまで、女装オカマと整形ババアの深夜の戯言です。これは、彼女達の発言を貶める意味ではなく、過剰評価をしないというか、正しく立ち位置を理解しましょうということ。
従って、この作品が うさぎ編とマツコ編で別々のエッセイ集になっていたなら、その出来は★3つちょいでしょう。
しかし、この作品は、往復書簡の形にしたことで、異形の2人の発言が、往復する中で、次第に濃さ・鋭さ・醜さなどを増していき、読者の心の中に否応なく浸透していきます。往復書簡の形のエッセイは、別に本書が初めてでもないのですが、この二人の作風・個性を活かす上で、上手い形を選んだサンデー毎日編集者に★1つ加えての★4つです。
これまでのレビューには、往復書簡への評価がないようですが、この作り自体が、本書のテーマと密接につながっているのではないですかね?
一般に、人は「特定多数」の他者と関わることで「社会」の一員となるとは、うさぎさんも触れているところですが、引き籠りに代表される社会との関わりにこだわらない若い世代でも「不特定多数」と関わることでの社会の一員であることには案外熱心に思います。文字通り「社会」であるSNSとかネットへの書き込みのことです。
これに対して、書簡というのは、本来「特定個人」に宛てられるものであって、目的性が高く、その伝えたいことを最も上手く伝えることに差出人は苦心するものです。分かりやすいのはラブレターですね。この「特定個人」宛の書簡を、公人・貴人が死語あるいは生前に公開するところから、「(不)特定多数」を意識した書簡が現れ、更に書簡体小説に至ります。しかし、書簡体小説の多くは、一方から他方の書簡だけから成る場合が多く、本書のような往復書簡という形を取るものは少ないです。(同タイトルの湊かなえの作品もそうではないかと)
しかし、本書では、「何か足りない」という元作家にして現権力主義者の暴言では済まない発言に激昂する2人が、それでも認める自分達の何か足りないものを探求する言葉のキャッチボールを通じて、「本当に」足りないものor「本当に」足りないのかにたどり着こうとします。これは彼女達の一方では難しかったかもしれないし、読者にもあの到達感は味わえなかったでしょう。
男と女が、お互いに足りぬものを補完するために異性を求めるのだと俗に言いますが、両性の外にあろうとする2人が、その両性からは得られない何かを探求するのですから、男または女の1人の作品からは出てくることのない異形のものが出てきて当然ですし、また、出てくるからこそ「商品価値」があることは、作中で2人も繰り返し認めるところです。
書き物のテーマに、いまさら画期的で誰も思いも言いもしなかったものなんてそうあるわけではないのですが(読者がそれを知らないということはあるわけですがw)作品として、それを如何に伝えるかで、作品の質が変わってくることもある。本書は、そのことを改めて認識する良い機会でありました。
まぁ、人間という個が、最も容易に証明できることって、男か女かという性別、そして、誰の子供であるかということです。しかし。前者については、人類誕生以来疑うべくもなかったことが、そして、疑いを挿むものを長く排除してきたところが、あっというまに古い考えになろうとしている。そして、後者は、夫婦や子供を為さぬ者でも、唯一の家族と出来るものであるが故に、逆に親を知らぬ者や親に捨てられたり別れたりした者には、自身の人としてのアイデンティティを危うくしかねないものです。こうした自己証明の容易さを自ら放棄した者が、むしろそれ故に、自己のみならず全ての者に「アンタ誰なのよ?アタシ何なのよ?」を突きつけまくることが、本書の面白さであって、高みに置くのでなく、むしろ、私達の多くが触れようとしない低い問題にグジャグジャになって拘っている2人に自分自身を投影してこそ、本作のディープコアがわかってくるのではないでしょうか?