小林秀雄対話集 (講談社文芸文庫)
さすがに小林秀雄、評論も講演もいいが対談も面白い。
冒頭の坂口安吾との対談、安吾は“文学”から距離を置き“骨董趣味”に走る小林秀雄に一抹の寂しさを感じている。小林は、安吾の魅力を“アップ・ツウ・デイト”と評しながらも、“現代”の虚無、“文学”の不毛を直感している。2人の会話はどこまでも噛み合わずパラレルなんだけど、“伝統”とか“文学”とかの同じ言葉に対して、2人が全く違う概念を抱いてるってのが面白いんだよな。話が佳境に入ってからの小林の「お前も少し酔って来たな(笑)」。こういうフレーズが出てくる対談は読んでいて楽しい。
三島との対談は、小林の次の一語に尽きる。「何でもかんでも、きみの頭から発明しようとしたもんでしょ」。リアリズムの対極とも言える三島文学の虚構性を、そしてまた、その過剰なまでのイマジネーションの才能を鋭く指摘している。
江藤淳との対談では、江藤がうまく小林の考えを引き出している。「美」とは「私」のささやかな経験がベースになっているってこと。インテリゲンチャ(!)は頭から入るけど、一番大切なのは経験、しかも「触る」感覚が大事、ってなこと。
小林がなぜ「伝統」に重きを置き、「文学」のあり方に疑問を投げかけているのか、といったことが、様々な論客との対談で、徐々に浮き彫りになっていく様が、とても面白い。
「インテリゲンチャ」をはじめ、「フォーム」とか「レーゾン・デートル」なんて言う当時の術語や、最近では語られない知識人の名前なんかも、時代を感じさせて興味深い。
時を置いて読む対談集ってのも、色々な読み方が出来てなかなか味わい深いもんである。もちろん小林秀雄だから今読む価値もある訳ですが。
百年小説
近代文学で有名作家の代表作品(短編)が一冊にまとめてくれたものがないか。
その願いをかなえてくれるのが本書である。1330頁に51編の名作がほぼ丸本の形で収載されている。活字が大きく、総ルビなので読み易い。
中島敦の『山月記』、太宰治の『富嶽百景』などは言うまでもなく、ややなじみの薄い坂口安吾の「波子」、梶井基次郎の「闇の絵巻」など掘り出しものも入っていて、楽しめる。
紅露逍鴎と言われた明治の文豪作品からプロレタリア文学・私小説をも含め、最後は昭和23年情死した太宰治まで広く作品を網羅して豪華な一書となっている。
ゴッホについて,正宗白鳥の精神 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 7巻)
百聞は一見にしかずといいますが、百見(読)は一聞にしかずというCDです。
なんどもなんども。繰り返し繰り返し、味わってみてください。(そのしゃべり口調のせいもあり、何度聞いても楽しい!)
そうして、何度も何度も聞いていると、あるとき不思議な変化がおきました。筆者の全集を読んでみると、今までとは「難しさ」が違うのです。
たしかに言っている事は難しいでしょう、しかし、難しく言おうとしてはいないことがハッキリわかるのです。
読みながら、声が聞こえてくるようです。
そして、だんだん、だんだんと書いてあることがわかってくる感覚が生まれます。 まさに『分かることってのは、苦労することと同じ意味ですよ』
です。苦労しながら、考え何度も読み分かればいいじゃないですか。
このCDは、全7巻は、もう一つの小林秀雄全集でした。