関東大震災 (文春文庫)
地震対策の最大の敵は「忘却」といわれている。地史的時間からみれば、百年前、千年前といってもついこの前のことである。しかし、人間の人生は多くは百年を越えず、二〇〇年間前なら六、七世代も前の事件になる。実体験した人間の記憶は、言葉としてしか伝える以外になく、つい「喉元すぎれば熱さ忘れる」ことになる。
大正四年の関東地方での群発地震に対して東京大学の助教授が大地震六十年周期説を話し、東京の人口と家屋が江戸時代と比べても多く、地震による被害は江戸時代と桁違いの大きさになることを予告した。社会不安を煽るものとして教授に封殺されてしまう。
実際、起こってみるとその被害は甚大なもので、圧死よりも火災によって起きた旋風により、焼死者、溺死者が多くなる。持ち出した荷物が被害を大きくしたことが江戸時代から指摘されていたにもかかわらず、誤りを繰り返してしまった。
加えて、朝鮮人、社会主義者による反乱の流言蜚語が飛び交い、新聞報道もその内容を調査もなく膨らましてしまったため、自警団が歯止めなく暴走し、多くの無実の朝鮮人を虐殺してしまった。この機に乗じて悪事をなしたのは陸軍、憲兵隊であり、有名な大杉栄事件が起きている。社会主義ということばがロシアを思い浮かばせるためのか、多くの国民は憂国の情ゆえの行為として許してしまう。
新聞は根拠のない流言を拡大した代償として、報道の自由を内務省に制限され、国家の暴走を止められなくなる。
本書は、地震が現代社会に与える影響を考える上で、一読されるべき本であり、人類の「忘却」癖を是正するために重要な価値を持っている。
藤十郎の恋・恩讐の彼方に (新潮文庫)
文豪・菊池寛の粋を集めたような魅力的な短編集。
人間の不条理さ、弱さ、そして強さを切れ味鋭く描き出してみせるその筆致はさすが!
表題2作はもちろん(実に対照的な)名作ですが、
個人的には「俊寛」が面白い。
あの歌舞伎でも有名な”悲劇”を、こんな風にひっくり返してしまうなんて!
(詳しく書くとネタバレなので止めますが)いや〜、お見事です。
ご存じ 島津亜矢名作歌謡劇場
もともと亜矢さんの台詞には、いつも感動していたのですが、「お初」は亜矢さんの歌唱を聴いたことがなくとてもCD聴くのが楽しみでした。
・・・すっ すばらしい!!期待を裏切らない、とても切ない亜矢さんの歌声、そして台詞に涙しました。
「おとこ歌」の亜矢さん、「おんな歌」の亜矢さん、どちらの亜矢さんが好きな方にも、大満足の一枚です!!
ソー・ホワット~ジョー・ヘンダーソン&菊地、日野イン・コンサート
リアル・タイムで彼らの演奏に接する機会のあった五十台のジャズ・ファンの皆さんは懐かしいだろうが、遅れてきた世代の私のようなものが三十数年の歳月を経て耳にしても、体の芯から赤外線効果のようにあったかくなる音楽だ、これは。
まさに、当時の熱気がそのまま真空パックされたかのように伝わってくる熱演の数々。
力強いツイン・ドラムスの絨毯の上を、ジョー、ヒノテル、峰の三本のホーンが縦横無尽に駆け巡る。そして、菊地のフェンダーローズ。
今回の一連のSHM−CD復刻シリーズの中では、もっとも興奮した一枚だった。
ドキュメンタリー 頭脳警察 [DVD]
あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。