魯山人味道 (中公文庫)
北大路魯山人(1883~1959)に師事し、本書で「あとがき」も書かれている食物史家の平野雅章氏は、かつて一定の食材を題材に料理人たちが腕を競い合う番組の審査員をされていたが、中途で番組を降りられたことがあった。うろ覚えで申し訳ないのだが、確か「食材を無駄にしている」といったことが降板の理由であったような気がする。この話を雑誌か何かで読んだ私は、「さすが、魯山人の愛弟子」と感じ入った記憶がある。
さて、魯山人(房次郎)の“凄み”を一言で言い表すならば、本書でも得心がいくように、「料理」を「味道」という“総合芸術”の域にまで高めた、ということであろうか。そして、その基本中の基本は、「食材を活かす」ということに尽きるのではなかろうか。食材を精選吟味し、人の手や食器を加えて、その食材が本来もっている味を引き出す、それが調理すなわち料理人の技であり、“料理の極意”といえるのではなかろうか。
本書の随想などの内容は平野氏が編集されたものだが、当書を通読して感じるのは一語で言って「愛」である。薄倖不遇な時期を長く送った魯山人の事物に注ぐ「愛」…。食材を活かすことも、とどのつまりは食材への“いとおしい”という「愛」が源泉となっているような気がしてならない。「愛」があれば、一欠片の食材もないがしろにはできないはずだ。“料理の極意”とは、結局「食材に対する愛」が基根なのではなかろうか。
日々の100
著者は『暮しの手帖』編集長。本書では『暮しの手帖』の雰囲気そのままに、著者自身がこれまで愛用してきた100点の品々を写真入りで紹介している。どれも使い込んだぬくもりが感じられるものばかりである。そのなかには、海外経験も多い著者が外国で手に入れた品も混じっている。私にとって最も印象的だったもののひとつに「アーミッシュの洗濯ばさみ」がある。木片の一方から中ほどまで刻みを入れただけのシンプルなものだが、こういうモノがこの世界のどこかに存在していることを予想もしていなかっただけに、不意を衝かれた思いをした。私の住む世界には決して訪れないような不思議な空気を纏ったユニークな一品(逸品)である。著者はこれを外国のフリーマーケットで手に入れたということだ。
また、著者は(古)書店店主でもあるから、書物も何点か収められている。『路上』や『北回帰線』が若き日の著者を支えてくれたというエピソードは胸を打つし、「岩本素白の随筆」や「小村雪岱の木版画」などを持ってくるところはさすが古本者だと唸ってしまう。
本書に漂う雰囲気の中で「暮し」てみたいとさえ思った。強く惹きつけられる一冊である。
蛇足だが、本書を読み、私はつい先頃文庫化された片岡義男の『文房具を買いに』を思い出した。
魯山人の料理王国
魯山人が色々な料理について、その食べ方、味わい、思い出等を語った本です。一つのテーマが、長いものでも3ページほどで区切りが付くし、また鮎、河豚、豆腐、鴨、茶漬けなど料理単位で区切られているため、目次を見て自分の好きな食材から適当に読んでいく、といった読み方が可能です。愉快なのは、巻末に掲載されている魯山人の洋行記録で、ヨーロッパ、アメリカ各地で食べた料理を批評していますが、やはりというか、まあコキおろしています。トゥールダルジャンでは、鴨に熱を入れすぎていて味が台無しになっているとして、ギャルソンに命じて料理途中の鴨を出させ、それを持参したわさび醤油で食したら大変うまかった、といったようなエピソードが載っています。料理好き、特に和食に目が無い方には楽しめるでしょう。