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ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
同じくD.オイストラフを尊敬しているムターの演奏と似たような印象を抱いた。異常に細部へのこだわりが感じられて、こちらの耳を否が応でも引き付けずにはいない演奏である。第一楽章を聴いたあと、これはブラームスを聴いたという感じがしなかった。従来の演奏、それがクレーメルのものでもここまでソリストを印象づけるものはムターの新盤以外にはなかったように思う。シュターツカペレの堂々たる響きで始まるがソロが入ってくると、ちょっとフューチャーし過ぎでは、と感じた。実演でも普段は聞かれないrit.などがあったが、樫本のバイオリンは一つのボーイングの中でも音質が変化するような細かい部分が気になった。後の楽章も同じく細かいアーティキュレーション迄丁寧で、演奏自体は第一楽章と同じだが、印象はそれほど異常には感じられない。樫本はデビューしたての頃とセカンドアルバムでは大きく変化したが、このブラームスはそれをスケールを大きくした感じだ。勿論、チョン・ミュンフンもシュターツカペレも好演で、演奏自体には何の不足もない。ところどころ呼吸が違ってずれている所もあるが、気にする必要はないだろう。この曲の入門には余り向いていないように思う。
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利家とまつ ― オリジナル・サウンドトラック
数ある大河ドラマの中でも戦国ものは好きで、今回は夫婦ものでもありとてもよかったです。うちのおまつ様としみじみとCDを聞きながらさらなるファイトを燃やしております。どなたかもおっしゃっていましたが、「まつのテーマ」が本当にいいです。「友愛」もすばらしい!
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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番
今年にはいって、大進さんにゆかりのある、赤穂市での
コンサートを聞きに行きました。
まるで歌うように、降り注ぐ音色に感動。
ベートーヴェンのソナタ「春」を聞くと、心癒され、春
の風を感じられます。
ピアニスト、イタマール・ゴランさんのピアノも素晴らしい。
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ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝
ベルリン・フィルの歴史である。原題の”Eine Biografie”がなぜ「自伝」になったのかについて訳者が「あとがき」で苦し紛れの弁解をしているが、訳者のとまどいが明らかである。こんな姑息な手は逆効果だと思う。
ジャーナリストというのは「読ませるコツ」をつかんでいるから、本書も非常に読みやすい構成であり、文章である。何となく納得させられてしまうのであるが、しかしそれは危険なことでもある。たとえばカラヤンに対する記述は公正を欠き、著しく批判的であるが、本文で引用された文がおおむねアンチ・カラヤンの本からであることを知らなかったら、上手に騙されるところであろう。しかも参考文献一覧には、バランスをとるかのようにカラヤン・シンパの文献も並んでいるのだ。学術文献のように、引用部分に番号でもつけて対照できるようにしたらよいのだろうが、そんな一般書はあまりみかけない。ここに欺瞞の元がある。如何なる書物にも完全なる公正などあり得ない、と理解はしていても、特定の意見を優先的に引用して強引に持論を展開するのは反則であろう。
他の記述にも、ときどき変な事がある。一例を挙げると、リストがアルトゥール・ニキシュをビューローの後任としてヴォルフに推薦したのが1895年であるかのように読めるが(p.59)、リストは1883年に死去している。「推薦していた」と書かなければおかしい。他にも時間的につじつまの合わない部分がいくつかあり、また、意味不明な訳文がときどきあった。原文のせいなのか翻訳の問題なのかは不明であるが、資料としてみた場合、こういうことは困る。
全体としては大変興味深く読める本であった。内容を吟味せず気楽に読むなら素敵な本である。しかしcriticalに見るなら、本書の内容は結構偏向しているのではないか。カラヤンの記述を読む限り、そう思えるのである。