ご臨終メディア ―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)
プロローグで都市機能は善意を前提に成り立っているのだ、と始まる。さらに、「私の定義ですと、民営化とは、国民がすでに持っているものを、さらに金を出させて買わせるという政策です。レーガン、サッチャー、中曽根の経済政策の基本にあったのは、利潤の私有化、費用の社会化でした」となるほどと思わせ、この本全体への期待を高めてくれる。しかし、残念ながら、第一章からいきなり愚痴をこぼすような対談になってしまうのは誠に残念である。そのためせっかくの次のような言論の自由の基本を述べた発言が掻き消されてしまう。「連中は、国民を代表して質問しているのです。だから失礼な質問をしても構わない。国民はその答えを聞いて、いろいろと判断する。それがジャーナリストの役割なのですよ(p.99)」、「ジャーナリズムは、国民の知る権利を代行するだけなはずです。知る権利は代行しているけれど、国民の意思を代行するものではないと思います(p.146)」そして「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。その権力の腐敗を、国民の代わりに監視するのが、ジャーナリズムの役割なのです(p.157)」 それに客観報道、公共性、公益性についていえば、私企業である新聞社やテレビ局が市場原理主義が蔓延する中で、どのような姿勢をとるべきなのかについても結局うやむやのままであった。視聴率競争や発行部数競争の中で、かつて第四の権力と輝かしく呼ばれたマス・メディアが、どのように誇りを取り戻し、「言論の自由」と「商売」との折り合いをつけていけばよいのか、これが本書を手にした読者の一番知りたいことではなかったかと思う。
越境者たち(上) (集英社文庫)
SPA! で連載しているときに、この作家さんを知りました。雑誌は買わずとも、この連載は立ち読みしていました。
ギャンブルは人間の本性、日常生活では隠している部分がむき出しになるところだと思っています。
そこで見られる人間ドラマが、おもしろくないわけがありません。
また、人生を賭けて打っている人ならではの視点。国を捨て、異人として、コミュニティに属さず生きる人の視点。強さ、弱さ、孤独さ……。
なんてえらそうに書いてみましたが、とにかくただただおもしろいです。