グレゴリアン・チャント・ベスト
本CDは岡田暁生氏の『CD&DVD51で語る西洋音楽史』(新書館)において2番目に引用されたもの。単旋律の単調さは退屈といえば退屈ではあるが、曲想の厳粛さは教会のひんやりとした静謐さを感得させ、何かこう粛然とさせられるものがある。思えば、同書で最初に引用された『地中海のクリスマス』に収録された作品群と本CDの作品群との「落差」こそが、非西洋キリスト教世界から西洋キリスト教世界への「純化」の歴史的過程を如実に物語るのであろう。
「鳴り物や手拍子やしわがれた声といったノイズで溢れた「土着の」音楽に熱狂していた異教徒たちを、静けさに満ちたキリスト教の神の国へと帰依させる。そんな使命を、聖歌は担っていたのだ」(同書16頁)。
「中世の芸術に共通するのは、生きた感情と身体を欠く不思議な抽象性である。恐らくそれらは生身の人間が楽しみ味わうものではなく、魂が身体から遊離した後の彼岸世界の予感であり、「この世ならぬもの」の顕現の告知だったのだろう」(同)。
「当時の人々にとっての本来の音楽とは、この世界を調律している秩序のことだった」(同書17頁)。
なお、念のため同書16頁に示された「図1」だが、本文との対応関係が全く違っている。誤挿入であろう。
吸血キラー 聖少女バフィー シーズン II DVD-BOX vol.3
ほかの方もおしゃってますが、なんでシーズン2でリリースを止めてしまうのか分かりません。予想するにFOXさん、どのタイトルでも「イニシャル命」なんて、バカな販売思索をお持ちじゃないでしょうね?このタイトルは24みたいに「積む」タイトルではなく「基本在庫がある」で売れていくタイトルだと思いますよ。
ブートレグ市場にあふれてるバフィーのパイロット版とかアメリカで放映禁止になりカナダでしか放映してないエピソードとか、何かとマニア心をくすぐる素材(宣材)がある魅力的なタイトルですよ。テレ朝に変な邦題つけられたり、FOXさん自体で変な邦題つけて自滅しただけじゃないですか。
こんだけ魅力的なタイトルをリリースしないんだったら、どこかにライセンスすりゃいーじゃないですか。デアゴスティーニとか。
とにかくシーズン2までという中途半端な販売をしたFOXに☆x0個、というかFxxK Fox, Buffyに☆x5個!
マショー:ノートル・ダム・ミサ曲
このアルバムの巧みさは、まずもってその構成にある。まずは、寺院の門前で喧しかったであろう「教会の入り口で演じられている楽師や物乞いの芸」の曲たちが配置され、次に「教会への入堂」のための曲たちが、そして最後に「ノートル・ダム・ミサ」が配置されている。これにより、聴者は教会の内外に流れていたサウンドを追体験し、ひいてはいわば中世ヨーロッパの街角の喧騒(的なもの)を感得することが可能となっている。
猥雑さと崇高さと、俗と聖と、中世ヨーロッパ文化の諸相を「感じる」ための正に必聴の一枚ではなかろうか。
処女懐胎―描かれた「奇跡」と「聖家族」 (中公新書)
イエス・キリストの母親の両親の名前がヨセフとマリアだということは、クリスチャンでなくてもほとんどの人が知っている。我々が手にする聖書にも書いてある。では、マリアの両親がアンナとヨアキムで、アンナにはヨアキムの他に再婚した亭主が二人いて、それぞれとの間に娘がいて(つまり、マリアの異父妹)、その妹たちに子供達があって(つまり、イエスの従兄弟達)、この大家族が集合した場面を「聖親族」として描いた絵画が多数残されている、ということは多くの日本人は知らない。我々が手にする聖書にも一言も触れられていない。
まして、イエスの祖母であるアンナがマリアに機織りを教えていたとか、聖書の読み方を教えたとか、多くのヨーロッパ中世の絵画のモチーフは、聖書に基づかずキリスト教の周辺伝説に基づいている。これらの伝説の多くは、イエスの死後百年から数百年の間に民間伝承と混淆しながら形成されたものだという。
本書を一通り読み終わると、頭に輪っかを乗せた女性が二人と赤子が描かれていたらアンナとマリアとイエスで、手を広げた女性が蛇を踏んでいたら「無原罪の御宿り」という図象であるということや、女性の耳に鳩が飛び込みそうになっていたら聖霊によって妊娠する瞬間のマリアだということが理解される。
これらは、いわば中世ヨーロッパの宗教画を理解するためのお約束ごとのようなもので、こうして一通りの解説を受けると、改めてルーブルやメトロポリタンに行ってみたくなる。
なお、さらに詳しくイエス伝説を知るためには、荒井献編 新約聖書外典が参考になる。
聖処女 スタジオ・クラシック・シリーズ [DVD]
<奇跡の水>で有名な元祖スピリッチュアル・ポイント、フランスのルルド。実は4年ほど前に観光でこの地を訪れたことがあるのだが、いまだに(といっては語弊があるが)白衣姿のシスターやボーイスカウト少年が、重度の病や怪我を負った患者さんがのった車椅子を押している姿をいたるところで見かけたのを覚えている。街の中央にどでかい聖堂が建っていて、その広場で盛大なミサが開かれていた。
アカデミー賞5冠を達成した本作品は、この<奇跡の水>が湧き出す泉を発見した聖女ベネディット(ジェニファー・ジョーンズ)の半生を描いた1本だ。貧しい家に生まれたベネディットは妹たちとある日薪拾いに出かける。体が弱いベネディットが川の手前で妹たちを待っていると、なんとそこに貴婦人(聖母マリア)があらわれこの丘に毎日通ってくるように告げる。その噂はたちまち街中に広まり役人や警察をまきこんだ騒動に発展。ベネディットの話に懐疑的な人々は「奇跡を起こして証拠をみせろ」と声高に叫ぶのだが・・・。
この作品はれっきとしたアメリカ映画なので、単純なカソリックのプロパガンダになっていない点に注目したい。むしろ、科学や法律を信奉する役人や医者vsベネディットの奇跡を信じる民衆という構図に着目した社会派ドラマに仕上がっている。騒動で街への鉄道敷設が中止になることを恐れた役人連中が、あの手この手でベネディットを“嘘つき女”に仕立てあげようとするシークエンスなどは結構エグく描かれており、教会が政治案件として関わりをさけ中立的立場をとろうとするところも面白い。
結局は、彼女が掘り当てた水に病気を治癒する効用があることが発覚し、ルルドに各国から押し寄せる信者や患者の前に役人側が完敗をきっしてしまう。映画は、神父の勧誘によりシスターとなったベネディットのその後も描いており、乙女の純粋な信仰心が強調されたラストを迎える。水の効用については定かではないが(実際に飲んでは見たが・・・)、ルルドの地で起きた<奇跡>を社会問題としてとらえた着眼点がすばらしい秀作だ。