水源―The Fountainhead
「訳者あとがき」には、「この小説が多くの日本人に受け入れられるのならば、日本の未来にも可能性がある」とある。同感である。ローク的人物があたりまえに存在する社会は、そうでない社会に比べてはるかに希望のある社会だろう。もっとも、日本や世界がどうあろうが、心の中にローク的なるものが確固としてある限り、自己の可能性を追求して人生に深い満足を得ることはできるだろうし、社会の醜悪さから受ける苦痛も、「心の中のある点までしか届かない」であろうが。
小説の登場人物と異なり、生身の人間の中では、対立する性質が矛盾したまま共存している。その割合は様々であれ、おそらく誰の中でも、ローク的なるもの、キーディング的なるもの、そしてトゥーイー的なるものが、すべて共存している。本質的に自由かつ社会的存在である人間にとって、この共存は必然である。だからこの小説で全肯定される原理を、そっくりそのまま政治原理として受容することはできない。また現実には、あらゆる性質が価値に対して持つ関係がそうであるように、ローク的なるものが純粋に美しいわけでもなければ、キーディング的なるものやトゥーイー的なるものが純粋に醜いわけでもない。
しかし、個人が自己の人生の可能性を完うしようとするならば、自己の中のローク的なるものの前に立ちはだかる偽善や無能の壁を、打ち破る勇気が必要だろう。自己の中のキーディング的なるものやトゥーイー的なるものが、自分や他人の可能性追求の前に立ちはだかろうとしたときには、その醜さを直視する勇気が必要だろう。この小説はこうした勇気を与えてくれる。
トゥーイーがキーディングに延々と聞かせる「人間支配の方法」には、ゾッとするほどのリアリティがあった。
奪われる日本の森―外資が水資源を狙っている
そんな現実が深く静かに知らないところで侵攻している。
平和裏に日本の国土資源が、・・・に奪われている。
尖閣等の辺境どころか、内陸での静かな侵攻に誰も気付いていない。
日本人は今すぐ読むべきだ。
ウォーター・ビジネス――世界の水資源・水道民営化・水処理技術・ボトルウォーターをめぐる壮絶なる戦い
昨今の日本では、公営サービスよりも民営サービスの方がコストも低く、質も高い、というイメージがあるように思う。
不採算の公営サービスを民間企業に払い下げするという話題は「かんぽの宿」だけでなく、これから広がっていくのは避けて通れないことであろう。
水道事業についても、徐々にではあるが民間企業への委託が行われている。
今のところ日本では大きな問題として取り上げられていないが、水道民営化によって貧しい人たちが安心して飲める水へアクセスできなくなってしまうという、危機的な状況に陥った事例が世界中に溢れている。
また、ダム事業や淡水化プラントなど、一見水問題解決に有効と思われる技術に対しても、企業が行うことで別の環境問題を引き起こすことも知られてきている。
本書では、水にまつわるビジネスで莫大な利益を得ている企業と、大きな被害を受けてしまった一般市民の実情、そして「水は人権」を標榜し安全な水へアクセスする権利は全ての人が持つべきと訴える「ウォーター・ジャスティス・ムーブメント」の活動について詳しく書かれている。
読むだけで世界的な水問題の全体像を俯瞰することができ、日本では当たり前のように手に入る「水」について考える大きなきっかけとなるだろう。
日本は世界に誇れる公営水道事業があるので今はまだ実感できないことばかりだが、このまま不況が進めば確実に民間企業への移管という話は出てくるであろう。巻末に「日本における「ウォーター・ビジネス」の現状と問題」ということで翻訳者の解説が追加されており、遠くない将来に実際に選択を迫られることになるように感じた。
その時、世界で起きている問題を繰り返さないためにも、実際に何が起きていて、何が問題であるか知ることは大事である。