嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
1960年代、マリはプラハのソビエト学校に通う日本人少女だった。同級生の中でもとりわけ仲がよかったのは3人。共産主義者の親とともに亡命してきたギリシア人のリッツァ。ルーマニアの外交官の娘アーニャ。そしてボスニア・ムスリム系ユーゴスラビアのヤスミンカ。鉄のカーテンの「向こう側」で少女たちは、大人たちの政治的思惑とともに生きざるを得なかった。
そして90年代、東欧を襲った民主化の大きなうねりの後、マリは3人のその後を訪ねて歩くことになる。
先ごろ亡くなった米原万里氏の著作を手にするのはこれが初めてではありません。しかし残念ながらこれ以前に触れた書は、どうにも露骨な下ネタが多くて、おもわず引いてしまうようなものが多かったのです。
この大宅壮一ノンフィクション賞受賞のエッセイは違いました。1960年代にプラハのソビエト学校で机を並べた3人の個性的な同級生たちのその後を通して、現代東欧民衆史を鮮やかに切り出してみせる名エッセイです。「アーニャの嘘」に隠された真実を追う過程は、北村薫のミステリーを読むような高揚感と、真実の持つ悲しさとを味わわせてくれます。
ですが、30年近い時を経て知る旧友たちの真実は、それでもまだ確たる真実とはいえぬ、ひとつのものをある一方向から見たものでしかないのかもしれない、というやりきれなさも感じます。アーニャの一家のその後の経緯をどう見るか、真実はひとつであるはずなのに、兄のミルチャの言い分、アーニャの母の言い分、そしてまたアーニャ自身の言い分はまるで違います。過去において共産主義とどう向き合ったのか、その度合いによって生まれた心の亀裂は、共産主義が終焉した後も決して埋まりません。
家族を引き裂いたまま共産主義は去っていったということを、痛ましくも感じさせる少女たちの物語です。
打ちのめされるようなすごい本 (文春文庫)
昨年、私的に最もショックだったニュースの一つが米原さんの死である。米原さんは超第一級の通訳、翻訳、小説家、エッセイスト、動物愛護家、皮肉屋と卓越した才能で人生を豊かにしてくれた方である。
このニュースに「打ちのめされている」間に彼女の生前の筆が数冊出版された。
2005年の書評総括を12月25日に新聞に発表し、その5ケ月後になくなられた。
1995年から2005年にわたる米原さんの読書記。仕事でご多忙の中、一体いつこれだけの本を読み込んだ(そうお手軽には読めそうにない本ばかりである)のだろう。そして2003年にガンを告知されてから、絶望する事なく逍遥と病気と向き合ってきた彼女の静かな闘争心と、あくなき知識欲に感服する。
読書日記というのはその人を知る非常に有効な手段であり、米原さんが読んだ本を見ていると彼女が真剣に(死期を感じながら)日本を憂い、世界を憂い(政治家を名指しで非常に辛らつに批判しているが、それは決して感情論ではなく確たる信念の基づいた指摘である)、辛い闘病の中も絶望することなく未来を描いていたと考える。
そしてその反面決して人にはみせなかった「いのち」への執着―数々の医学関連の書物の批評からーも垣間見ることができる。そこで胸と目頭が熱くなった。
あとがきを米原さんの義弟である井上ひさし氏が書いている。「すぐれた書評かというものは、今まで読み進めている書物と自分の思想や知識をたえず混ぜ合わせ爆発させて、その末にこれまでになかった知恵を産み出す勤勉な創作家である」
彼女は絶えず好奇心のアンテナを張り巡らせ、その卓越した才能を持ったまま旅立った。それが惜しくて仕方ない・・・
心臓に毛が生えている理由 (角川文庫 よ 22-2)
ロシア語通訳家としての彼女の業績には計り知れないものがあると思います。けれど私が考えていた通訳の仕事はこの1冊を読むと覆されます。相手の言葉を生きた言葉に伝えることは実際通訳という仕事にだけ限定されるのではないことが良くわかりました。裏話もあり、これって本当?と思う箇所も多々あり思わず苦笑いが・・。
彼女のロシア学校時代のエピソード「ドラゴン・アレクサンドラの尋問」は個人的には感動しました。こんな図書館司書がいたら我が家の息子も本好き、話上手になっていたのかな。と思ってしまいました。
世界・わが心の旅 (2巻セット) [DVD]
スタジオジブリの源泉を見るかのようなDVDです。
宮崎駿さんと高畑勲さんの世界観の作られ方を見ているかのようです。
高畑勲さんの「木を植える男との対話」は、赤毛のアンがそのものの世界。
木を植えた男の作者フレッデリック・パックさんは、本を書く前から木を植えていたという。カナダの大自然と人間との共生を探る姿に感動しました。
人間が自然にいかに近寄れるかは先住民族の生活様式がヒントになるような気がしました。
宮崎駿さん「大空への夢~南仏からサハラ~」は、紅の豚そのものの世界。
星の王子さまの作者サンテグジュベリの世界を映像と宮崎さんのものの見方から楽しめます。
宮崎さんがどんなことに興味を持ち、どんなことに興味を持たないかがハッキリとわかっておもしろい!
男はロマンを求めて、それを体現していく生き物だと感じた作品です。