The Circle Game
無性に「サークル・ゲーム」が聞きたくなって、それもバフィー・セントメリィーではなく、この曲を作ったジョニ・ミッチェルの歌っているものを探していた。そうしたらなんと恐ろしい、ジェイムス・テイラーとのライブ版を発見。1970年10月28日のローヤル・アルバート・ホール(ロンドン)での収録らしいが、あるんですねこんなお宝音源が。恋多き女性ジョニはこの頃ジェイムスと恋人同士だったのは有名な話であるが、このCDでは当時のアツアツな雰囲気が伝わってくる。ただしちょっとイチャイチャしたところはあるが、2人のパーフォーマンスのクオリティは高い。特に「サークル・ゲーム」のジェイムスとのデュエットは感動もの。CDジャケットのアナログ感もいいし、2人のファンの方は是非聞いてください。
Sweet Baby James
しとしとと雨が降りつづける、このアルバムはそんな休日によく聞いています。すべての音楽が繊細で、彼の音楽性の広さも伺えます。
70年代の一連のシンガーソングライターの作品群のなかでも最高の1枚だと思います。
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1作目から見ていき、5作目を見終わると、ストーリーが1作目へと繋がり、永遠にループしていく壮大なストーリーの大作(?)なのだけど、「4作目:征服」「5作目:最後」は、何度も見たいとは思わないかな。。。
ティムバートン版の方が原作に近いらしいけど、私は「絶対にこっちこそが猿の惑星」となってしまっている。
映画好きになった原点とも言える作品の中の1つなので星4つにしておきます。このマイナス1は、日本語吹き替え、それも、テレビ放送時の声優による吹き替え音声が入っていないこと。コーネリアスはやはり近石真介さんか山田康雄さんで聞きたい。まぁ権利とかで無理なのだろうけど。
この時代の映画を見ると、別の放送局で放送されていたとしても日曜洋画劇場のエンディングテーマが頭の中で流れる。
Mud Slide Slim And The Blue Horizon
心配事や嫌な事があっても、James Taylorの曲を聴くと和みますね。どの曲もそれぞれ好きなのですが、いくつか特にお気に入りの曲について書きたいと思います。
Carole Kingの曲をカバーしてNo. 1ヒットとなった"You've Got a Friend"はいつ聴いても泣き崩れそうになります。なんて美しい曲なのでしょう。元気の無い友達に、この歌詞を書いたカードを送ったことがあるのですが、本当に喜ばれました。カラオケでもいつも歌うのですが、Jamieはとても淡々と歌っていて簡単そうに聞こえるけど実は!すごく難しいのだった。
そして"Places in My Past"!美しい!!!過ぎ去った昔を懐かしんで優しく歌うJamieに涙!
"Hey Mister..."では"Fire and Rain"のヒットにより一躍時代の寵児となった彼の心情を歌っています。お金を入れてくれればいつでも悲しい歌を歌いますよ、とジュークボックスから自分の意思とは関係なしに鳴り響く自分の歌のことを歌っています。彼は自分の楽しみのために始めた音楽なのに、こんな風になるとは思っていなかった、と今の成功を語っていたので、戸惑いも少なからずあったのでしょう。
"You Can Close Your Eyes"は当時の恋人だったJoni Mitchellのために作った曲だそうです。彼女はこのアルバムの何曲かにコーラスで参加しています("You've Got a Friend"にも)。もう悲しいbluesは歌えないよ、と恋する幸せな気持ちを控えめに表現しています。ピックを使わずに弾いているギターの音色がとても優しい。
"Long Ago and Far Away"もとても美しく彼の曲の中でもとっても好きなお気に入りの曲です。確かシングル・カットされたはずです。この曲もJoniが参加しています。二人の声はとてもよく合っています。
前作の"Sweet Baby James"のジャケットの写真と比べると、このアルバムのジャケットの幸せそうな照れくさそうな笑顔は印象的です。そのまま彼の精神状態を表しているように思うのです。以後、アルバムごとにどんどんたくましく、幸せになっていく彼を見るのはファンとしてとても嬉しいことです。私がファンになったのはこのアルバムの遥か後、"Dad Loves His Work"なのですが!
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ネット界隈では、原作がピエール・ブールの捕虜体験に基づい小説であるから、
映画も原作と同様に東洋人(なかんずく日本人)への差別と蔑視でいっぱいだ
という仮説が通用しているが、
少なくとも映画版に関してはそれは外れている。
映画版の『猿の惑星』シリーズは、
人種差別の構造が逆転するという、SFならではの機知に満ちた傑作である。
とくに低予算の第4作目から5作目の物語の下敷きは、
明らかにアメリカ国内の有色人種(なかでも黒人)の問題であって、
彼ら猿人のモデルはは日本人や東洋人ではない。
このSF映画の傑作の呼び声が高い第1作は、
英知によって発展しているはずの未来社会がまさか猿人たちの支配する星であるという、
悪夢のようなディストピアを描いているのだが、
逆に言えば、人間が社会化する過程がどの動物にも当てはまる可能性がある、
という予見に満ちている。すなわち傲慢を戒める映画である。
星を支配している猿人たちのモデルが、
東洋人であろうと、あるいは黒人であろうと、はたまた別のものであろうと、
蔑視しているものに社会を奪われるという革命は起こりうるものであり、
それは理不尽でも何でもなく、
宥和なき社会に起こる紛争と権力闘争の結果だと言える。
映画版『猿の惑星』がラスト・シーンで示す衝撃は猿人に支配される社会よりも、
また別のショックに由来している。
世界を滅ぼすような馬鹿げた戦争への憎しみである。
ハリウッド映画が白人の優越を誇示する内容が多いことはよく知られているが、
『猿の惑星』シリーズはそうした内容ではない。
むしろ白人社会の愚かさを戒める内容になってゆくことで面白さを発揮している。
この作品が示した猿人社会というのは、
人間のなかの愚かさの戯画であって、
猿人が何人をモデルにしているかなどということは、まったく関係ない。
猿山のなかのボス争い同様に、智慧を使って戦争をしている人間たちの様が、
あるいは猿人世界を外から見た人間と同様の構図かもしれないというのが、
何よりもキーなのである。