オール・アバウト・アルモドバル BOX [DVD]
映画の中にはいくつもの忘れがたい素敵な場面がある。マヌエラ、アグラード、ローサがマヌエラの慎ましやかなアパートで過ごす場面などは、アメリカの映画とはまったく違う色彩が溢れている。かれらの衣装やアパートの壁紙、ドアの色やカーテン、家具や食器とその色彩とデザインについ目が行ってしまうのだ。コンピュータグラフィックのデジタルデータではない色と形がそこにはある。それは先の「ショコラ」「アメリ」にもつながる感覚だ。それらは単なる風景ではない、映画の持つ意志を色彩やデザインとしてこちら側へ伝えてくるのだ。それらはなんともいえないくつろいを観るものに与え、気がつけば自分もマヌエラらと共にアパートで心を開いているそんな気持ちにさせるのである。そこにはスペイン流の生活を営み楽しむ文化を感じる。「効率優先」や「経済効果」中心の経済システムとは違う考え方である。金よりも大事なものがあるのだ。自分と友人、自分と家族、自分と社会、日々の生活を通じて自分との関係性をゆっくりと問い直し、豊かな共同体こそが人をしあわせにするとわたしたちに教えてくれている。
オール・アバウト・マイ・マザー [DVD]
「イブのすべて」と「欲望という名の電車」。女であることの悲しみを痛ましいほどに描いたこれらの作品群を物語の展開の中に見事に織り込みながら、これは女であることの(そして母の)強さと慈しみを描いた映画です。
アルモドバル監督が執拗に描き続けるのは、薬物依存症患者や性倒錯者、不倫に走る者や宗教的異端の徒など社会の主流からはずれた人々の物語です。監督自身もゲイであることがスペイン本国では公然と語られていますが、社会の周縁部に息づくこうした<少数派の人々>は、それゆえに測り知れないほどの孤独感を常に抱いています。孤独を埋める手立てを強く求めるあまりに彼らはやがて、主流派の人々には越えてはならないとされている一線を越えてしまいます。私たちは一線を越える彼らの姿に言い知れぬ哀しみを見るのです。
それでもこの映画が人びとに底なしの寂寥感を与えることに終始せず、見終わった後にむしろ爽快感を与えてくれるのは、命のリレーを静かにそして毅然とした態度で描いているからです。臓器移植と新生児の誕生。誰かの死を乗り越えながら、未来永劫脈々とつながっていくであろう人間の命の流れ。それを見事に描いています。命を送り出すに価するだけの価値がこの世界にはあるのだという強い信念に貫かれた映画と言ってよいと思います。そして命を産み育むことは「母のすべて」であると語っているような気がします。
主人公マヌエラの人生は山あり谷あり。決して平坦ではない日々を、たじろぐことなく凛として生きていく。映画終盤のそんな彼女の姿が見る者の心を打つ作品です。
劇場公開にも足を運び、そして今回DVDで見直してみましたが、これは幾度見ても倦むことのない秀作であることは間違いありません。
なお、出演者たちのスペイン語の台詞は非常に明瞭で、ヒヤリングの教材にはうってつけでしょう。
オール・アバウト・マイ・マザー [DVD]
タイトル中の「マイ」の私とは誰のことなのだろう。最初の方で死んでしまう青年? 最後の赤ちゃん? それともアルモドヴァル監督自身? はたまた観客のことなのか。
『オール・アバウト・イヴ』がタイトルの基になっているそうだが、映画の中で繰り返される演劇は、『イヴのすべて』(マンキーウィッツ監督の!)と同時代の映画としても有名な『欲望という名の電車』である。その演劇で主役を演じる女優を始め、役者たちの演技合戦が見ものであるのは誰もが誉めているとおり。
映像的にはこの監督らしい原色を基調とした鮮やかな色彩と大胆な平面的構図に加え、ヒロインが昔の友だちと出会うあたりなど、なんとなくフェリーニをも思わせるようなシーンもある。