バットマン : ロング・ハロウィーン ♯1
この作品はコミックとしてもおもしろいですが、クリストファー・ノーラン監督が、映画のテーマを伝えるためにこの本を素材としてどのように構築しなおしたかがわかると思います。
DARK KNIGHT バットマン:ダークナイト(ケース付) (SHO-PRO BOOKS)
DKRの見所は色々あるけれど、やはり目玉はスーパーマンとバットマンの二大対決でしょう。
アメコミにおいて、ヒーローとヒーローが戦う事は珍しくないけれど、この二人のそれはやはり一線を画しています。
自分定めたのルールだけに従って、老体に鞭打ち暴れ回るバットマンと、
その気になれば何でも出来るのに、私利私欲を持たず懸命に世界を守ろうとするスーパーマンという、
価値観の違う二人の物言わぬ心の交流は感動的。
もちろん、おなじみの人物やヴィラン達も登場する。なかでもジョーカーの一連のエピソードは壮絶。
フランク・ミラーのペンのタッチは彼ら老いた登場人物の魅力を十分に表現してくれます。
そして、同時収録のストライクスアゲイン。
絵柄に関しては、掲載されている下書きを見るに、フランク・ミラーのタッチ自体はそれほど変わっていません。インカーの方が大胆に絵柄を変えています。
最初は前作からの変化に驚きます。が、とっつきにくい反面、こちらの方がより心に衝撃を与えられます。
むしろ前作以降のシリアス路線に慣れている現代の読者にとってはこちらの方が印象に残るかもしれない。
戦いに子供を巻き込み、メトロポリスを平然と見捨てるバットマンは、
道徳に反しているというフラッシュの非難に「今までのやり方が間違っていた」とヒーロー活動を半ば否定して見せます。
従来の市民に仕えるヒーローとしてのスーパーマンは徐々に追い込まれていき、
蹂躙されるJSAに代わって登場したスーパーマンの娘ラーラは、圧倒的な力を誇り人類を見下します。
ヒーロー達はそれぞれ意見を持ち、誰が正しくて誰が間違っているのか、それは読者にも一概に判断できません。
スーパーマンはバットマンに感化されて変わっていきますが、偽ジョーカーのようにバットマンについていけず振り落とされた者もいます。
物語としてきれいにまとまっているDKRと混沌としたDK2。未読の方は同時に楽しめる一冊を是非読んでみては。
ダークナイト [Blu-ray]
昨年末にブルーレイ内蔵型のデジタルTVを購入し、昔からTVを購入したら、「ダークナイト」を買おうと決めていました!早速鑑賞、ビックリしました。とりわけ中盤の、地下道でのカーチェイスのシーンのやり取りでは、バットモービルに追突され大破したゴミ清掃車の潰れ後などがクッキリ!鑑賞後DVDで同じシーンを観ましたが、ぼやけてばっかりでまるで見れたものでは無かったです。本当にブルーレイは凄いですね。
バットマン:キリングジョーク 完全版
アラン・ムーア&ブライアン・ボランドの描くジョーカーの物語は、もちろん素晴らしく、数多のジョーカー像のなかでも、とりわけ強い印象を残す。
だが、驚愕すべきは、ボランド単独による併録短編『罪なき市民』だろう。
ボランドは、この作品に関して「7歳の息子を持つお母さんから抗議の手紙をもらうはめになった」と書いているが、その母親は、圧倒的に正しいと云わざるをえない。この10ページたらずのコミックは、まぎれもない「悪書」なのだ。決して読むべきではなく、同時に、何をおいても読むべきである(これは、ほとんど同じ意味だ)。
アンディ・ウォーホルを彷彿とさせる風貌の、主人公の少年。彼は、積み上げた本の頂上に新約聖書を置き、さらにその上にヴィデオ・カメラを安置し、レンズに向けて猛毒性のメッセージを語る。彼は自分の映像と言葉が、21世紀のマーク・チャップマンたちを呼び醒ます預言となる日を、夢想しているのだろうか?
「僕はただの、罪なき市民だ / 死んだら天国に行くんだ」
まさに、キリングジョーク。