FAKE STAR’S CIRCUIT 1996~BOY’S ONLY~ [VHS]
この頃の黒夢は脱ビジュアル系の方向に向かっていましたが、この作品を見る限り、脱ビジュアル系を成功させたと思います。
野郎だらけの暑苦しいライブに全く違和感を感じないユニットになった黒夢の姿がこのDVDに写っております。
また、そうる透氏のドラムソロが収録されている為ドラマーにもオススメです。
ポッキーショック
「21世紀には、とんでもない発明品が私たち人類を、震え上がらせているに違いない」10年前に逝った、とある学者の言葉だ。私には、その1つの形が、今ここに、この玩具の中にあるように思えてならない。ここで、その説明をする前に、現代の開発事業の過ちについて述べなければならない。
21世紀の社会が、物質的豊かさを手に入れたことは言うまでもない。人々は自然を客体化し、その支配に於いて至福を満たすことに人間であることの意義を見いだしてきた。そして、それが、現代の環境問題として括られる諸問題を発生させていったことも、言うまでもない。
しかし、私が指摘したいのはその類いの事ではなく、欲求、また、広い意味での幸福の質の変容についてである。「満ち足りた豚より、不満足なソクラテスの方が良い」とは、J.S.ミルの言葉である。果たして我々の感じている幸福が、本質的な社会全体の利益の底上げにつながっているのか―――真に徳の高い幸福であるのか。現代は、今一度これまで歩んで来た道を振り返ってみるべきであろう。
「ポッキーショックやろうや、先攻おまえな。」今年の正月の、私の祖父の言葉である。果たして現代の技術を結集したところで、祖父をして「モンハンやろうや、狩猟笛で来いよ。」と言わしむるか、いや出来ない(反語)。世代を越えて愛される明快さ、これこそが最初に述べた、進歩と歴史が調和した「とんでもない発明」であり、まさにそれが、このポッキーショックの中には内在しているのだ。
短命の百合達 [VHS]
94年4月14日中野サンプラザ・ライブ映像ですが、ただライブをそのままという感じではなくて1つの物語のようにさえ見えます。この日のライブは、6人の分身達を背に7人目の清春が過去の分身と同じ様に純粋さを保ち、ラストシーンまで生き、なおかつ前に歩いていられた、という内容のものだそうです。
全体的に照明の色がハッキリして綺麗な画です。「短命の百合達」「棘」など10曲収録。11曲目の「for daer」はPVです。
この頃の清春に、もう1度あの頃の私に戻って会いたい。
ドリームキャスト本体
中古ショップでスペースチャンネル5が100円って・・・
しかも誰も買わんってか・・・
70億円のシェンムーの世界も、ルーマニア203の質素なワンルームも、ドリームキャストが提供した見たこともないゲーム世界だった。
意欲的なオリジナルタイトルでゲームを楽しめって言っていたような気がして、そういう意味で、本当にゲームの未来を感じさせていたのは、ドリームキャストだったと思う。
実際、現行機に移植してほしいドリームキャストの傑作はまだまだあるけど、移植しなくてもいいと思うのもいいのかもしれない。ドリームキャストで楽しめるおもしろさが次世代機という形として現れなかった以上、ネームバリューに対するゲーム業界の体質は変わることもないだろうし、むしろドリームキャストでしか遊べないタイトルとして残ったほうが、ひとつのゲームマシンとして有終の美を飾れるのかもしれない。
すこし大袈裟な話ではあったけど、次世代ゲーム機の華やかな裏舞台で、いつまでも楽しみたいと思えるゲーム機なのだ。