読書術 (岩波現代文庫)
本書は他のレビュアーも書かれているように斎藤孝氏の「読書力」のような読書することの重要性・愉しさを力説する類のものではなく、書名のとおり”いかに書を読むべきか”を著者の豊富な読書遍歴に基づいてその一考察を述べたいわゆるハウツー本に類するものである。
さすがに知の巨人の異名を拝するだけあって一般のハウツー本と比してその内容は著されてから幾年経った現在においても決して色あせない内容となっており、著者があとがきにおいても書かれているとおり高校生をはじめとした学生に広く読まれるべきではないかと思う。
本書においては特に基本的で当たり前だが、およそ私も含めて多くの方が出来ていないだろうと思われる教養の土台をつくるために古典の遅読の重要性をきちんと謳っているところが私自身が本書を通読して共感し好感を持ったところである。
しかしながら、枝葉末節ではあるが、著者自身に現代の日本人が読書しなくなった要因としてテレビの存在を軽視している冒頭部分はあきらかに誤認だったのではなかろうかと現状を考察するに思う次第である。
ただ、これは著者自身の眼が曇っていたというものではなく、むしろ現在の我々の多くが易きに流されやすい怠惰な存在かを遺憾ながらも指示しているのではないだろうか。
今更ながらと思わずに読書に目覚めた多くの方が本書を手に取り、各々なりの読書術を身につけた上で、各人が豊かな読書に日々の愉しみを見つけることができれば、先立って鬼籍に入られた著者もきっと喜ぶに違いない。
日本 その心とかたち 加藤周一 [DVD]
日本を代表する知性、加藤周一先生が、87年にNHK教育テレビで10回シリーズ放映された作品。レビューに内容の概説がないので理解しにくいと思いますので。10の切り口・テーマをご紹介すると1.はじめに形ありき・縄文文化とメキシコのウシュマル遺跡の形の類似性2.神々と仏の出会い・・・神仏習合と日本人の心性3.現世から浄土へ・・西方浄土への憧れと優れた造形4・水墨・天地の心象・・写実を離れた簡略化された描写<5.琳派海を渡る6・手の中の宇宙7浮世絵の女たち8.幻想に遊ぶ9・東京・変わりゆく都市10.21世紀への冒険。大陸文化の影響を受けなかった火焔土器をはじめとした縄文文化の独自性にはじまり、大陸から渡来した文化に触れても、そのまま受け入れるのではなく、独自に取捨選択する日本美術の特性はオリジナリティはなくとも独自の世界を作り上げてきました。それを一言で言うと「洗練」という言葉で表現できるのではないでしょうか。そうした日本美術の特性を西洋美術などとの比較もしながら、分かり易く解説してくれます。平凡社から大判で出版もされていますが、いまは絶版で、古本でしかないでしょう。なにはともあれ、これほど体系的に、グローバルな観点から、語られた日本美術論はいままでなかったのではないでしょうか。加藤先生の博識ぶるには驚かされます。私は当時、ビデオをとり、本も買い、なんども見ました。それがDVDになったのは嬉しいのですが、値段を見てビックリ、内容が素晴らしいだけに、この値段はなんとかならないものでしょうか。
しかし それだけではない。/加藤周一 幽霊と語る [DVD]
本当に頭の良い人は、難しい事を難しく言わない、加藤周一さんの語りを聴いて、しみじみそう思いました。
加藤周一さんと言えば、必ずと言ってよいほど評論文が入試で採用され、その難解さに閉口した記憶があります。
この映画を観る前は、話について行けるか心配していましたが、それは杞憂でした。加藤周一さんの話し言葉は、とても分かりやすいです。そしてその主張には、必ず反論できないごもっともな理由付けが用意されてます。
なぜ戦争はいけないか。それは戦争で一時富を得たとしても、死ぬとき望むことが家族の将来だからだ。自分の人生の最後の一瞬に、戦争を望むひとは誰もいないからだ。これを言われたら、誰も反論できないと思いました。
自ら戦争を経験し、そして世界を渡り歩き、日本を客観的に評価できる彼の言葉を埋没させてはいけないと思いました。
日本文化における時間と空間
茶室の土壁をイメージしたのだろうか、端正な装丁である。「雑種文化」から半世紀を経て筆者は、日本文化の秘密を、現在(いま)・現場(ここ)という「部分」に拠って立つ点にあると喝破する。「いま・ここ文化」理論は、宗教、文学、絵画、演劇、建築そして外交といった豊富な事例で補強・説明され、相対化される。それは、現代日本社会を構造的により深く理解しこれからの課題を提示することでもある。
本書では言及されていないが、「いま・ここ」文化は日本のビジネス社会の構造でもある。事業部制や製造業における現場主義やカイゼンは部分の積み上げ・足し合わせれば全体が上手くゆくという考えに基づく。携帯着メロからガス田開発まで手がける総合商社という業態も然り。そして今、グローバル化が日本企業に突きつけているのは、経営全体のデザイン如何である。平安中期遣唐使廃止以降の日本史一千百年間の半分は国を閉じていた歴史でもあった。これからの日本企業のグローバル経営は真に容易ではないと感じる。