新訳 ロミオとジュリエット (角川文庫)
『ロミオとジュリエット』は、ジュリエットという「蕾が一気に開花して散ってゆく」(ヘーゲル)、その一瞬に圧縮された時間の力に圧倒される。ジュリエットの美しい科白、例えば「And palm to palm is holy palmers’ kiss こうして掌(たなごころ)を合わせ、心を合わせるのが聖なる巡礼の口づけです」(河合訳)等も素晴らしい。だが、この作品はジュリエットの純愛を際立たせるためであろうか、全編に卑猥な会話が溢れている。どうでもいい瑣末な箇所まで卑猥なニュアンスになっている。例えば、第二幕4場、通りをやってくる乳母と召使を見つけたロミオとマキューシオの会話。
「A sail, a sail!」「Two, two: a shirt and a smock. 」「船ぢゃ船ぢゃ」「二艘二艘。男襦袢(をす)と女襦袢(めす)ぢゃ」(逍遥訳)。「船は二艘。猿股に腰巻だ」(福田訳)。「二艘だ、パンツ号とパンティー号だ」(小田島訳)。「二隻、二隻だぜ、男と女」(松岡訳)。「二艘だ、二艘だ。シャツ号とシミーズ号だ」(河合訳)。比べてみると、福田訳と小田島訳は"意気込み"を感じさせる意訳だが、やや行き過ぎ。しかし松岡訳では物足りない。原文のshirtとsmockは、男用の下着のシャツと、女用の下着のシュミーズを意味する。「襦袢」と訳した坪内逍遥訳は見事。和服の下着「襦袢」はポルトガル語gibaoから作られた和製外国語「ジバン」だから、シェイクスピアの訳語として先祖帰りしたわけだ。そして、河合訳が逍遥以来百年の歴史を経て、原文を一番正しく再現していることが分る。
その他、河合の新訳は、この作品の科白が、幾通りもの異なった詩の形式になっていることを、脚注で説明している。これは作品の解読に非常に有益だ。
ROMEO(DVD付)
ミニアルバムということで、曲の数はちょっと少ない気がします。
が、ジャケット、歌詞、曲の順番などを見ると、同じ世界観を表現しようとしていて、その世界に入り込みやすいです。
少年の恋というか、まだ10代のシャイニーならではの等身大の恋を感じられる一枚だと思います。
特に5、6番目の曲は好みで、良く聴いてます。
ベスト・クラシック100
カノン、威風堂々、運命、ジュピター、グリーンスリーヴス、タイタニックのテーマなど世界中誰もが知ってる超有名曲がなんとCD6枚に100曲、7時間分も収録されているというから驚きです。
100均でもクラシックのコンピレーションCDは発売されていますが演奏者不明ですよね。しかしこのCDの楽曲は有名演奏者で構成されています。
本場ヨーロッパ(イタリア、フランスなど)ではベストセラー、さらにホワイトのジャケットが女性にも人気、クラシック初心者もそうでない人も誰もが楽しめる究極の1枚です。自信を持って5点をつけさせて頂きます。
ロミオとジュリエット (新潮文庫)
「ロミオとジュリエット」では、プロローグとして話のあらすじを、あらかじめ要約してくれていますが、この部分、この訳者はとても調子よく書き下しています。こんなカンジで…。
「舞台も花のヴェロナにて、いずれ劣らぬ名門の
両家にからむ宿怨を 今また新たに不祥沙汰。
仇と仇との親よりも、 生い出し花や、呪われの
恋の若人、あわれにも、 その死に償う両家の不和。
宿世つたなき恋の果て、 愛児の非業に迷いさめ、
今は怒りも解けしちょう、 仔細はここに、二時を、
足らわぬ節は大車輪
勤めますれば、御清覧、 伏して願い奉る。」
ついつい声に出して読みたくなってしまう訳ですが、このように訳されているのは、この新潮ver.だけです。この部分だけでも、一読の価値はあるかと思います。原作が劇であり、語られることを前提に作られた作品だけに、このような訳がベストだと思うのですがどうでしょう?
チャイコフスキー:交響曲第6番
言うまでもなく、チャイコフスキーの名曲中の名曲である「悲愴」ですが、
数々の演奏を耳にして、LP時代から10数枚を購入し愛聴してきました。
カラヤンの演奏もド派手なEMI盤、枯れた魅力のウィーンフィルとの最後のもの、
今、改めてカラヤンの芸術を60年代70年代80年代と聴き直し、
CDも買いなおして聴いています。
この76年当時のベルリンフィルのアンサンブルの完璧さは惚れ惚れします。
そして磨き上げた「悲愴」の美しさ悲しさに感動しなおしました。
そして、たった1000円でこの名盤が買えるとは驚きです。
チャイコフスキー入門者には絶対この1枚をお勧めします。