ヘヴン
すばらしい小説です。苛めは大人の社会の縮図です。といわれますが、このテーマを単なる風俗や社会現象ではなく、神なき現代世界の構造としてリアルに書ききった作者に意志に敬意を表します。特にコジマは苛められつづけることに実の父親につながる弱者としての意味を見つけ、殉教者のような聖性を獲得します。百瀬はもっとも(イワンやスタビローギンに通ずる)ドフトエフスキー的人間で、現代ではもっとも現実的な説得力をもっています。ここには善悪の価値はなくすべてが自由です。そして現実に現代社会の多くの現象がそのような権力と暴力構造で動いていることも事実です。
僕はコジマを守るために二宮を殺すという人間的行為を止めた、コジマの聖性に限りなく惹かれつつ、百瀬ともコジマとも一線を隔すことになる。圧巻は最後のクライマックスでコジマと百瀬の声が重なる部分である。世界の意味に引き込もうとする点では両者とも同じなのである。主人公の僕は斜視を治して世界そのものを見ることを選ぶ。意味の以前の世界そのもの美しさを発見する。
この小説が単にいじめ現象を超えた広がりを感じさせるのは現代のわれわれの精神の深層を描いた作品であるからである。
乳と卵(らん) (文春文庫)
改行なしでえんえんとつづくうたうような文章が、
読み始めは少し読みにくく感じるのだが、
慣れると読みやすく、気持ちいい。
ただ、文体の面白さに反して
話の展開は芥川賞的というか、
おさまりがよすぎるというか、
起承転結的な感じで物足りなく思った。
賞取りに行ったということもあると思うし、
分量的なことも考えるとしょうがないのかどうか……。
パンドラの匣 [DVD]
主人公・利助=ひばりが綴る手紙がストーリーテリング役なせいか、物語の進み具合が起伏に欠けて盛り上がりを見せない。「ロケットマン」こと「ふかわりょう」こと「フニオチ太郎」が、文句たらたらだったに違いない、どうにも腑に落ちない話だった。
魅力を挙げるならば、看護婦「やっとるか」⇒患者「やっとるぞ」⇒看護婦「頑張れよ」⇒患者「よしきた」…という日常的にあちこちで交わされる合言葉や、塾長ミッキー・カーチスの塾内放送を通じて流される訓話が楽しい。“新しい男”になると意気込みながら、新しさの定義に頭を悩ます軟弱なインテリ「ひばり」ならではのボケ味などは、かなり自虐的なユーモアが利いていて面白かった。
川上未映子のキャスティングがこの映画の最大の見どころだ。この人の大阪弁は聞いてるだけで気持ちいい。映画初出演とは思えない達者な演技、憂いを含んだ表情やニュアンスに富んだセリフ回しなど手慣れたものだ。逆に、金歯がチャームポイントの「マア坊」こと仲里依紗は、彼女の小悪魔的な魅力がこの物語には欠かせないことは分かるが、終戦当時にこんな現代的でふくよかな“おなご”はおらへんて。私なら吉高由里子を推します。
菊地成孔は、『パビリオン山椒魚』に比べれば、彼の音楽が映画に占める割合は数段アップしていて、やれやれ。弦楽曲と彼のヴォーカルを主としたメロディメイクとアレンジが、この映画をそこそこの文芸作品へと導いているのは間違いない。
驚いたのは、全編アフレコであること。小栗康平監督の『死の棘』をめざしたのだろうか。しかし、アフレコの利点を大いに生かして、多重録音や声のパッチワークによってセリフで遊んでいる。これは、鈴木清順に0.1歩ほど近づいたクリエイティブとして評価できるんじゃないかと思った。