エスケープ(紙ジャケット仕様)
大御所ギタリスト・森園勝敏が自らのバンド『Bird's Eye View』とともに製作した力作。
この時期の森園氏はナベサダやジョージ川口らと共演したりと、ジャズへの傾倒を見せていた時期。
それを見事に形にしたのがベン・シドランの名曲「キャディラック・キッド」のカバーだ。
ベン・シドラン必殺のリズムとも言うべき連拍のリフレインを生かしながら、テーマ部分を4ビートに作り変えたアレンジは絶妙で、白尾泰久氏のサックスともども“名演”とも言うべきプレイを聴かせてくれる。この曲は当時フュージョンからジャズ寄りの演奏をしていたこのバンドのメインの楽曲であり、ライブでも大喝采を浴びていた曲でもある。
またしっとりしたボーカル曲も秀作揃いで、森園氏の充実ぶりが窺われる。コーラスを担当した当時の中村哲の奥サマ・中村裕美子の存在も光っている。もちろん森園氏の泣き節ギターも絶品だ。
ジャズ・フュージョンのバンドの割りにはドラムが若干カタい感じがするが、バンドのまとまりも非常に良く、全体的に落ち着いたムードて統一された非常に丁寧な作りのアルバムだと思う。
ちなみにこのアルバム、スイング・ジャーナル誌の人気投票で3位にランクインした実績を誇る。
あの四人囃子で縦横無尽にギターを弾きまくっていたロック・ギタリストのソロ作とは思えない現象として、当時は大いに話題になった作品である。間違いなく日本のジャズ/フュージョン界に足跡を遺した名作中の名作。
反省 私たちはなぜ失敗したのか?
長い拘置所生活にも屈しなかった二人のパワーは凄まじい。それがいちいち「ここまで言っていいの?」というぐらいの実名(顔写真付!)、実例のオンパレードである。あまりの迫力に一気に読んでしまった。
外務官僚の腐敗が露になったのは、96年ペルー大使公邸襲撃事件の時であろう。フジモリ大統領指揮下の電撃作戦で人質は無事救出されたが、その後青木大使の記者会見が何とも異様な光景だった。他人事というか、ナメきった態度というか、セキュリティの反省だとか、救出に対しての感謝とか、国民に対してのお詫びなどカケラもない。その光景に疑問を抱いたテリー伊藤氏は後に「お笑い外務省機密情報」という本(これも面白いです)を著す。一言で言うと「日本国民の常識と乖離した不思議な人種がいる。それが外務官僚だ。」
それから十余年、本書によれば外務省はもはや治療不可能なほど病気が悪化してしまったという。いわゆる鈴木宗男事件当時、方や「疑惑の総合商社(C)辻本清美」方や「外務省のラスプーチン」と揶揄された二人だが、長い拘置所生活にも屈しなかった二人のパワーは凄まじい。それがいちいち「ここまで言っていいの?」というぐらいの実名、実例のオンパレードである。
単純に仕事をしないだけでなく、嫉妬に駆られ足を引っ張り、あろう事か革命政党である共産党に機密文書をリーク(国家公務員法違反)までして、フレームアップ(でっち上げ)を謀り、世論・メディア・検察を煽り「国策捜査」で邪魔者を葬る…
さらに本書が正しいとするならば(恐らくほとんど正しい)、そうやって足の引っ張り合いをしている間に情報力や分析力も落ちてしまい、各国から笑われ無視される程度の「外交力」しか持たなくなってしまう。もはやたんなる治療ではなく抜本的な外科治療が必要である。それには国会議員が力と責任を持って望むしかないのだが…
北方領土 特命交渉 (講談社プラスアルファ文庫)
北方領土問題は単なる地域内の問題ではなく、国際社会の土俵にのったグローバルな動きのなかの一要素であることを実感できる本。本書にはいろいろな人の言動が収められているが、誰がどう悪いとかいうよりも、「こういう人がこういうポジションに置かれてこういう出来事が起こるとこう物事が動く」という構造的な点に注目すると非常に有益。そこに注目すれば日本の弱点を強みに変換することができるだろう。官僚・ビジネスマン・学者はもとより、国際問題および日本の生き残りに関心を持つ人には必読の書。
国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて
佐藤優氏は外務省のノンキャリアでロシア大使館での仕事に従事した後、日本に戻って特殊情報(いわゆるインテリジェンス)担当となる。
外交というものはあくまで国益を追求すべきものだから、必ずしも正々堂々がいい訳ではない。北方領土も、現状を踏まえて且つ相手国たるロシアが本質的に求めるものは何か、を追求しつつ、政治と経済と組み合わせて交渉するのが正しい。
佐藤氏はインテリジェンスの内でも、それまでの経験を活かしたロシア、東欧の仕事が主となる。そしてロシアといえば北海道出身の議員、鈴木宗男氏。「ムネオ・ハウス」なんかで有名になった人。結局佐藤優氏は盟友ともいえる鈴木議員に連座する形で起訴された。
僕はこの本を読むまで鈴木宗男氏は利権をむさぼる汚い奴と思っていた。そして連座した佐藤優氏も典型的な世の中の常識からずれた外務官僚と思っていたが、この本を読んで、それが誰か及びマスコミによって作り上げられた歪んだイメージで、真実はこの本に書かれていることの方が近いと感じた。鈴木氏は利権をむさぼる人ではない。また佐藤氏担当検事の西村氏も指摘していたように、鈴木氏はその政治力、押しの強さ、理念を実現できる強さから多欲な他人、たとえば田中真紀子から嫉妬を受け、しかも鈴木氏自身の欲が少ない為、そのような嫉妬自体に気がつかない。従ってその地位から引きずり下ろされたという。
鈴木氏は立派な政治家だ。そして鈴木氏とタッグを組んで日本の国益の為に頑張った佐藤氏も立派だ。二人とも真の日本男児といえる。
一方の魑魅魍魎、事なかれ主義、必要な時には鈴木氏に土下座してまで従う姿勢をとりながら、いざ鈴木氏が訴追されると、「鈴木氏の強いプレッシャーによってあんなこと、こんなことをさせられた」と掌を返したようなことをする外務官僚たちとは対照的だ。
僕が興味深かったのは検察官同士のこの会話だ。「この国=日本の識字率は5%以下だからね。新聞に一片の真実が出ているもそれを読むのは5%。残り95%の世論はワイドショーと週刊誌によって形成されるのだ」。
鈴木氏と佐藤氏とが国策捜査の対象になったのは、「時代のけじめ」のためだと(検察官が)いうが、それを望んだのは僕ら一般国民の空気だ。マスコミのもたらす表面づらをなぞった情報でもって二人を断罪しようとしたから特捜が動いたのだ。
その意味ではワイドショーと週刊誌によって物事を判断する低俗な僕らが彼らを獄に追いやったともいえる。
僕らは猛烈に反省しなければなるまい。