双頭の鷲 [DVD]
ジャン・コクトーの名作『双頭の鷲』がDVDで見られます!
クリスティアン・ベジャールの衣装デザインが、とてもステキだったのが印象的な映像作品です。
丸山明宏の舞台と較べてみるのもヨイかも知れませんネ。
いうまでもなく、ハープスブルク家の皇后エリーザベトをモデルにした戯曲の映画化でしてよ。
L'Aigle Noir
現在、国内発売のベスト盤には、「l'aigle noir」の1曲が収録されているに過ぎず、このオリジナル盤は、もしかすると「地味」な存在かもしれない。前作「le soleil noir」('68)が1つの「頂点」とも言えるだけに、この作品に関しては、当時から賛否両論様々あった。その「l'aigle noir」1曲をとって「サウンドが変わった」とするのは、(現在では)極論ではないか、とも思う。ともあれ、当時の彼女は、充実した時期にあったことは間違いない。この年('70‐商品説明には'61とあるが、これは明らかに誤り‐)、彼女は初の来日も果たしている。また、このアルバムは、廃盤続きの不毛の時代にあっても、「定番」として残っていた(アナログ末期)。そのおかげで、私もかなり早い時期からこの作品に接する事ができたのである。個々の作品について触れよう。
「a peine」は、ゆったりと悩ましく歌われる愛の歌だが、私個人の意見としては、'78オランピアの、あの「何か」に取り憑かれたような急ぎ足の歌唱も大変気に入っている。「quand ceux qui vont」は、'81パンタンまで、「drouot」は'90モガドールまで歌われている名作。前者は、ステージでは、「レクイエム」を意識しているのか、オルガン(シンセ)主体のアレンジで「祈り」を強調した演出になっているが、スタジオ盤はここに聴くようにピアノ主体のシンプルなものである。どちらも好きだが、繰り返し聴いた数の多さでは、やはりスタジオ盤の勝ちであろう。後者は、思い出の品が競売にかけられる老婦人の様子を見事に描いた「写実的な」作品。この作品は、どのパフォーマンスを聴いても胸に迫るものがある。もちろん、このスタジオ盤も。
他の作品では、「hop la」「le zinzin」は軽めのテイスト。言葉の端々にユーモアの感じられる佳作。「au revoir」も別れの歌であるが、どちらかと言えば、軽めにさらっと歌われている。不思議と余韻の残る歌だ。「la colere」は'72に再録もしているが、このオリジナル盤はシンプルな響きである(彼女は度々旧作の再録音を行っていた。「la solitude」「les rapaces」などがその例)。
残り2曲も「再録音」の例。「je serai douce」「amoureuse」は、昨年死去したRTLのレモ・フォルラーニ氏の書いた7幕物の劇「madame」('67の同じタイトルの曲とはまったく無関係)の劇中歌。アフリカの娼館が舞台で、作曲は彼女自身。'70の1月から2月にかけてパリ・ルネサンス座で上演されたが、興行としては大失敗だったようである。しかし、ここに残された録音は、その失敗をまったく感じさせない堂々たる仕上がりで、「再録音成功」の例だと言っても差し支えないだろう。「amoureuse」はそれこそ、'68年の大傑作「l'amoureuse(恋する女)」(定冠詞が付いている)と混同しそうな紛らわしいタイトルだが、この小品がまた素晴らしい。口笛を思わせるピッコロに乗せて、軽やかに恋の喜びが歌われるが、最終節では一転「ああ、不幸せ、不幸せ、不幸せ、こんなにも不幸せ」と嘆きの歌に変わる。その落差は劇的である。先述の劇が失敗に終わったにしても、ちゃんと収穫を残したという点で、この録音は決して無視できないのである。新しいバルバラファンはぜひ一聴を。
L'aigle Noir
現在、国内発売のベスト盤には、「l'aigle noir」の1曲が収録されているに過ぎず、このオリジナル盤は、もしかすると「地味」な存在かもしれない。前作「le soleil noir」('68)が1つの「頂点」とも言えるだけに、この作品に関しては、当時から賛否両論様々あった。その「l'aigle noir」1曲をとって「サウンドが変わった」とするのは、(現在では)極論ではないか、とも思う。ともあれ、当時の彼女は、充実した時期にあったことは間違いない。この年('70‐商品説明には'61とあるが、これは明らかに誤り‐)、彼女は初の来日も果たしている。また、このアルバムは、廃盤続きの不毛の時代にあっても、「定番」として残っていた(アナログ末期)。そのおかげで、私もかなり早い時期からこの作品に接する事ができたのである。個々の作品について触れよう。
「a peine」は、ゆったりと悩ましく歌われる愛の歌だが、私個人の意見としては、'78オランピアの、あの「何か」に取り憑かれたような急ぎ足の歌唱も大変気に入っている。「quand ceux qui vont」は、'81パンタンまで、「drouot」は'90モガドールまで歌われている名作。前者は、ステージでは、「レクイエム」を意識しているのか、オルガン(シンセ)主体のアレンジで「祈り」を強調した演出になっているが、スタジオ盤はここに聴くようにピアノ主体のシンプルなものである。どちらも好きだが、繰り返し聴いた数の多さでは、やはりスタジオ盤の勝ちであろう。後者は、思い出の品が競売にかけられる老婦人の様子を見事に描いた「写実的な」作品。この作品は、どのパフォーマンスを聴いても胸に迫るものがある。もちろん、このスタジオ盤も。
他の作品では、「hop la」「le zinzin」は軽めのテイスト。言葉の端々にユーモアの感じられる佳作。「au revoir」も別れの歌であるが、どちらかと言えば、軽めにさらっと歌われている。不思議と余韻の残る歌だ。「la colere」は'72に再録もしているが、このオリジナル盤はシンプルな響きである(彼女は度々旧作の再録音を行っていた。「la solitude」「les rapaces」などがその例)。
残り2曲も「再録音」の例。「je serai douce」「amoureuse」は、昨年死去したRTLのレモ・フォルラーニ氏の書いた7幕物の劇「madame」('67の同じタイトルの曲とはまったく無関係)の劇中歌。アフリカの娼館が舞台で、作曲は彼女自身。'70の1月から2月にかけてパリ・ルネサンス座で上演されたが、興行としては大失敗だったようである。しかし、ここに残された録音は、その失敗をまったく感じさせない堂々たる仕上がりで、「再録音成功」の例だと言っても差し支えないだろう。「amoureuse」はそれこそ、'68年の大傑作「l'amoureuse(恋する女)」(定冠詞が付いている)と混同しそうな紛らわしいタイトルだが、この小品がまた素晴らしい。口笛を思わせるピッコロに乗せて、軽やかに恋の喜びが歌われるが、最終節では一転「ああ、不幸せ、不幸せ、不幸せ、こんなにも不幸せ」と嘆きの歌に変わる。その落差は劇的である。先述の劇が失敗に終わったにしても、ちゃんと収穫を残したという点で、この録音は決して無視できないのである。新しいバルバラファンはぜひ一聴を。
[エーグル] VIF 25
デザインに一目惚れして購入しました。
20リットルのザックは持っているので、25リットルは必要ないと言えばないのですが…
どうしても欲しくて♪
使用感は…
【オススメ点】
★体にフィットするように調整できる仕組みが充実している。
★このサイズのザックには珍しく、ウエストベルトも太めでしっかりしている。
【問題点】
★中くらいの荷物(タオルとか手袋)用の収納がないため、
大きな収納にまとめて入れなければならない。
結果、荷物がザックの中で行方不明になったりして出しにくい。
トータルで見ると…
決して使いやすいとは言えませんが
このかわいさにテンション上がって、楽しく山登りできるからOK♪
って人向けでしょうか。(私も含めて)
日常使いするには、大き過ぎると思います。