風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)
近頃ブームになったケータイ小説の源流がここにあるのかもしれません。実際、「風立ちぬ」はリルケの影響下にあり、リルケと言えば昔は少女趣味の代表格でした。
もっとも、解説の中村真一郎は、この本はそんなに浮薄な羸弱なものではないと言っています。
私は昔モダニズムや新心理主義に本当に憧れていました。プルーストやフォークナーを、読みもしないうちから想像したりしていました。「記憶」とか「過去」というものに、芸術の精髄があるような妄想を抱いていたものです。
「風立ちぬ」も、そんな頃図書館で半分ほど読み、何となく自分の夢見ているものをそこに見つけたような気がしたものです。
さて、今全部読んで、どうだろう。
もはや自分の夢や幻想などそこに見出せない自分に出会ってしまいました。
回想やノスタルジーの美しさも、若いうちだと改めて気がつかされました。中年や老年にも、それなりのノスタルジーはあるのかもしれません。しかし私は、自分の内面というものが、徐々に荒れ野と化していくような気がします。
年を取れば、世渡りは上手くなります。丸くなります。しかし内面には、どうしようもない荒野が広がって、ひどい酸欠に苦しむのではないでしょうか。
だからこそ、芸術というものが要るのではないでしょうか。
風立ちぬ (ぶんか社文庫 ほ 3-1)
『風立ちぬ』です。堀辰雄の代表作です。
主人公の愛する人、節子は、当時不治の病だった結核で、高原のサナトリウムに入ります。主人公も共に高原へ赴き、死に行く節子を見送ることになります。
その過程の物語です。
全編にわたって、ほとんどが心理描写と情景描写、という感じです。
あまり動きはありません。17号室の最も重症の患者が……という程度のことはありますが……セカチューのように無人島へ行ったり墓からどうこうしたり、といった大きなイベントが無い、ということです。
それでもやわらかな文章による描写が巧みだからでしょうか、全編にわたって優しくも物悲しい雰囲気が漂っていて、高原の時の流れを味わうことができます。
どんなに若くても、人は死ぬときは死ぬ。だから、今、生きている。
特に秀逸なのが、最後の「死のかげの谷」の描写です。
主人公も節子も確信していたものを迎えて、……淡々とした谷の情景描写によって、主人公の心境が読者に伝わってきます。
古今東西、不治の病ネタの物語はいくつもありますが、結核が必ずしも不治の病でなくなった現在においても名作として輝き続けるだけのことはある、確かに名作です。
Jブンガク マンガで読む 英語で味わう 日本の名作12編
マンガと英語で近代文学を覗いてみる本。
明治から昭和初期の12作品が紹介されています。各作品には18ページずつ割かれていて、その18ページが更にいくつかの小部屋に分かれているので、どこからでも読めます。まるであらかじめつまみ食いされる事を想定しているかのよう。気軽に読める本ですね。
マンガと日本語と英語で粗筋が紹介された後、『キャンベル先生のつぶやき』という部屋では原文と英訳文が示されます。日本文学の専門家であるキャンベル先生が、英訳に際して感じたことなども書かれていて、敷居の低い本書の端倪すべからざる一面が垣間見えます。
文学の紹介本としてはかなり異色の一冊かもしれませんが、読み易いです。